

第10回「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞い てみた」山中伸弥・緑慎也
走り続けるのに必要な事
山中教授がノーベル医学・生理学賞をとられてから、早いものでもう二年になるのですねえ。なんだかついこの間のような気がしますが…
いま「細胞」という言葉を聞いて殆どの人が思い浮かべるのは、STAP細胞のことでしょう。今年に入ってからはずっとSTAP細胞騒動ばかりが取り沙汰されるようになってしまいました。それも研究そのものに対する関心というよりは、研究機関や研究者たちの問題に対するゴシップ的な関心が大きいように見えます。
私もSTAP細胞騒動の話をネットやテレビで見ていましたが、ふと疑問に思いました。
そういえばiPS細胞の研究はどうなっているのか、というかそもそもiPS細胞って具体的にはどういうものなんだろうか。ノーベル賞とった時にテレビで盛んに取り上げていたから、身体のどのパーツにも変化させられる細胞、みたいな話は知ってるけど…あれ、それってES細胞とどう違うんだっけ…
どうせiPSについて調べるなら、他人が解説した本より発見者当人が書いた本が一番正確に理解できるだろうと、「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」を読んでみました。
iPS細胞には、二つの大きな特徴があります。一つは、高い増殖能力。はじめは一個でも、培養すれば一〇個、一〇〇個、一〇〇〇個、一万個という具合に、どんどん増やせるのです。場所とお金さえあれば、ほぼ無限に増やすこともできます。
もう一つの特徴は、高い分化能力。iPS細胞にさまざまな刺激を与えることによって、筋肉、神経、心臓、肝臓など、二〇〇種類以上あるからだの細胞を作りだすことができるのです。
………
いま世界中で何千人もの研究者がiPS細胞を使って、多方面の研究開発を行っています。その目的は「再生医療」と「創薬」の二つに大きく分けられます。
(「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥・緑慎也)
この本は二部に分かれており、1部で山中教授の自伝とiPS細胞の説明、2部でインタビューとなっています。
1部の文章は山中教授による語り口調になっているのですが、さすが大阪出身というか、文章の端々にユーモアをちりばめてきます。
たとえばよくテレビでも言われたエピソードで、神戸大学医学部を卒業した後で国立大阪病院に勤務した山中教授は、臨床医としてはあまりにヤブ医者だったので、大阪市立大学の大学院で薬理学を学ぶ道に行った、というものがありますが…
だからといって、自分が不器用だったとは思っていません。講演で「手術が下手だった」と発言することもありますが、謙遜していっている部分もあります。
技術者の子どもだし、小さいときから機械いじりをしていたので手先は器用なほうだと思っています。あるときNHKの取材班が、ぼくがお世話になっていた病院の院長に話を聞いたのですが、その人が「本当に(山中は)下手やった」と正直に答えておられたのでズッコケました。
(「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥・緑慎也)
とまあ、読みやすい文章の本なのですね。しかし別に笑いを取りにきてる話ばかりでもなく、説明が必要な箇所はしっかりと脚注がなされ、山中教授の鋭い問題意識も書かれた読み応えのある本でもあります。
アメリカのグラッドストーン研究所に留学した山中教授は、「VW(ビジョン&ワークハード)」、つまり長期的な目的を持ってよく働くことが大事だと教わり、そして自分の研究を他人に説明する「プレゼン力」の大事さに気づかされたと言います。
………大袈裟にいえば、人生も変わりました。アメリカで身につけたプレゼン力が、その後、ぼくを何度も窮地から救ってくれることになります。
(「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥・緑慎也)
日本に帰国後、細々とES細胞の研究に勤しみながらも、長らく日の目を見なかった山中教授。「もうちょっと医学に関係することをしたほうがええんやないか」といわれ、研究をあきらめる寸前まで行きましたが、ここで「プレゼン力」が山中教授を救ってくれます。
奈良先端科学技術大学院大学に研究室を持てるかどうかという面接の時、決めてになったのはポインターの使い方などの「プレゼン力」でした。それによって、「あなたはしっかりした教育を受けている人だと思った」と言ってもらい、採用されます。
先端大で研究室に学生を呼びこむ時も、他のES細胞研究者たちとは違うビジョンをうまくプレゼンすることで、研究をずっと手伝ってくれる優秀な人材を得る事ができました。
相手の眼にどう映るかを意識する山中教授のスタンスは、「iPS」という名前にも現れています。これは「人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells)」からとった名前ですが、なぜ最初のiだけ小文字かというと、世界的に大流行していた「ipod」にちなんで、覚えやすく普及しやすい名前を、と考えてつけたものだそうです。
いまの研究の世界というのは、ただ新しい事象を発見すれば良いというものではなく、それを世の中の人に分かりやすく正確に理解してもらう努力も必要になっています。
山中教授は現在では自分で実験するということはまず無く、研究所の所長として、論文執筆や研究グループのマネジメントという形で研究活動を行っています。それを続けて行くためには、iPS細胞の研究に対する理解を広め、予算や人材を確保していかなくてはなりません。
そこでもやはりまた、「プレゼン力」が必要になってくるのでしょう。
しかし、そこで人々の人気取りのようなものに執着してしまうと、理化学研究所のSTAP細胞騒動のような者になってしまうのでしょう。難しいことです。
…で、結局iPS細胞とES細胞の違いですが…そのへんの話は本書のP81あたりから載っておりますので、ぜひご自身の眼で確かめてみてください。なんたって本書の一番おもしろい所ですから。ポイントは「設計図のしおり」です。
山中伸弥という一人の人間の半生記としても、iPS細胞などの再生医学入門としても、非常に「読みやすく分かりやすい」そのうえ笑い所もある面白い本です。
おすすめです!
いちばん辛かったのは、基礎研究の世界に身を投じた後、自分の研究が本当に人の役に立つのか、なんの意味があるのかわからなくなった時期です。悶々として苦しんでいました。そのころは臨床医に戻りたいと思っていたんです。でもいまは戻りたいとは思いません。臨床医に戻っても、ぼくがこれまで出会ってきた難病の方たちは治せませんから。
ぼくの父は、息子が臨床医になったことをとても喜んで死んできました。ぼくは医師であるということにいまでも強い誇りを持っています。臨床医としてはほとんど役に立たなかったけれど、医師になったからには、最期は人の役に立って死にたいと思っています。父にもう一度会う前に、是非、iPS細胞の医学応用を実現させたいのです。
(「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥・緑慎也)