

第18回「帰ってきたヒトラー」ティ ムール・ヴェルメシュ
「ヒトラー的なもの」は魅了する
前回がかわいいしろくまちゃんのお話だったので、今日はちょっとギャップがあったほうが良いかなと思い、かわいくないヒトラーちゃんのお話でもしようと思います。ギャップありすぎ。
「まさかとは思うけど、うちの店を荒らして逃げたりしないよね?」
私はむっとして男を見た。「私が泥棒に見えるとでも?」
男は私を見返して言った。「いや、おたくは、アドルフ・ヒトラーに見えるよ」
「そのとおり」。私は言った。
(キオスクの店主、アドルフ・ヒトラー「帰ってきたヒトラー」ティムール・ヴェルメシュ)
この本は「もしもヒトラーが現代に読みがえったらどうなるか?」というお話です。2011年のドイツの空き地で、軍服に身を包んだヒトラーが目を覚ますところから物語は始まります。
現在のドイツ、つまりナチス礼賛を犯罪とし、「我が闘争」を発禁として、ヒトラー的なものを封印してきたドイツです。
ヒトラーは自分がタイムスリップするという異常事態に戸惑いつつも、現代の知識を(ときに勘違いしつつ)吸収し、ドイツ第三帝国の復活を目指します。
まわりの人間は彼を「ヒトラーに良く似たモノマネ芸人」と勘違いし、おもしろがります。ヒトラーが差別主義バリバリの発言やファシズム全開の発言をするたびに「いや上手だねえ!」「あはは、一理あるね、たしかにその通り!」と感心します。この辺の「勘違いギャグ」がこの本の大きな魅力の一つであります。
「舞台に出てるんだね?プログラムはある?」
「当然だ」。私は答えた。「一九二〇年に!我が同胞ならあなたも、二十五か条綱領というプログラムを知らないわけがなかろう!」
(キオスク店主、アドルフ・ヒトラー「帰ってきたヒトラー」ティムール・ヴェルメシュ)
ヒトラーの会話はいつもこんなかんじ。
そんなヒトラーに目をつけたテレビ番組制作スタッフたちは、彼をTVショーとYouTubeの人気者に仕立て上げます。プロパガンダ活動としてテレビは有用であると考えたヒトラーは、コメディアンとして(本人は大まじめに討論や演説をしてるだけなのだが)大活躍。
批判や抗議なども多いけれど、明快で簡潔、力強い言葉のヒトラーに皆が魅力を感じ、押しも押されぬ人気者になっていきます。
そう、ヒトラーがもし現代に存在していたら、「狂人の独裁者」などと見抜かれることはなく、「大人気スター」になってしまうのでは?ということは、いつの時代においても「ヒトラー」は誕生しうるのではないか?
小説の中に描かれる現代ドイツの人々は、ヒトラーの語る過激な言葉を冗談や風刺・皮肉として捉え、本気で言っているとは思いません。しかし、ヒトラーは本気です。それは先ほど述べた通りこの本の笑えるギャグでもあるのですが、一歩引いて考えれば「誰もが自分に都合良くヒトラーの言葉を解釈している」「自分の信じたいものしか人は信じておらず、本当の姿をみていない」ということです。
ということは、ヒトラーを笑う者たちはみんな、ちょっと立ち位置さえ変われば、ヒトラーを崇拝する者に変わりうるということです。
この物語はそう投げかけるとともに、「でも、ヒトラーの言葉って魅力的だよな」と思わせる、スレスレのところを渡っていきます。果たして物語の結末は…
ぜひ読んでみてください。オススメです!
「真実は、次の二つのうちのひとつだ。ひとつは、国民全体がブタだったということ。もうひとつは、国民はブタなどではなく、すべては民族の意志だったということだ」
(アドルフ・ヒトラー「帰ってきたヒトラー」ティムール・ヴェルメシュ)